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2009年6月

食物連鎖

首輪だ指輪だ鼻輪だ・・
全部何かとの約束事を象徴している。
携帯電話を長いストラップで吊り下げているオジサンをみると、正に会社から見えない赤い糸で繋がれているとしか思えない訳です。険悪な大型犬じゃあるまいし・・・顔を見れば、険悪な大型犬に似ているけど。
人と人を結ぶものは、もっと精神的なものであったはず。西欧型の約束(彼らは契約というけれど)方式を採り入れた結果がそれらの輪になって。
牛じゃあるまいし、鼻輪で飼い主が分かるのは良いけれど、飼い主社会に隷属する を公然と表明してどうすんのよ と思うのです。

で、鎖。
人間は食物連鎖の頂点にある とよく聞きます。
本当に頂点だろうか? 頂点というのは数多くの流れがありその頂き部分を指すのであれば、残念ながら雑食性の人間は、リンクから外れていはしないでしょうか? 全てを食べる つまり連鎖ではないように感じるのだけれど。
小魚しか食べない大きな魚を人間が食べる しかし人間は小魚も食べますよね、骨に良いとか言いながら。それって連鎖を超えてるのではないかい・・。
また草しか食べない牛を食べるけれど、草も食べるじゃん、ビタミンの補給と言いながら。
数の多さから言っても、頂点に君臨するものはごく僅かな個体数の筈。しかしそれを言ったら、トキの方が人間より少ないぞ!
他のものから食べられないのが頂点にいる と言うのであれば、インフルエンザ菌に食べられている・・・侵されるが正しいかも・・・インフルエンザ菌が頂点?

連綿と繋がるものをチェーンという言い方で表現すると、全てのものに干渉しようとしている人間は、ウェブ(蜘蛛の巣)と表現すべきで、その一翼を担っているだけのような気がするのですけれど。もちろん強力な一翼。
食物連鎖という物言いがどこか間違っている様に感じるのですね。実際、餓死者がこれだけ出ている世界で何が頂点なんだか・・・。

そしてこのあとネットワーク論になるのですけれど、それはまた次回にでも。

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それはおかしいだろう

私たちも客商売。
あまり言いたくはないが、この国の政教分離はどうなっているのか。

景気対策を進めた上で、最終判断が消費税率のアップ。
遍く広く税を徴収する という考え方はある意味で納得しなければならない市場原理主義だけれど、じゃ相続税はどうなんだ と考えると消費税の前にしておくべき事があるんじゃないの と突っ込みたくなる。
相続税なんぞ100%かけてしまえば、充分な景気対策というか消費刺激策になると考えられるのだけれど(だってお金を墓に持って行けないのだから、老人が使うでしょ的発想)その前に立ちはだかる宗教法人に対する課税が残っているはず。

だいたい像が傷むから公開しない とか、国会証人喚問が為されないとか、宗主の嫁ハンが党首に変わりましたよ人間の降伏 印鑑販売 ラブホテル経営・・・。
税金払わないところが社会に対してアプローチしたら、それは立派な商法マターな話だしロビー活動になるだろ という理屈はおかしいですかね?
税金を企業と同様に払ってからしろ と言いたい。
その後だろう消費税。

あの集団結婚式の教会はとんでもないことを続けていて何故宗教法人の看板を取り上げられないのか理解に苦しむのです。けんきんりけんけんきんりけん  とっても凄いお経というか説教というか。
さっさと課税対象団体にすべきと私は思うのですけれど。

(実は名前入りでこの数倍トンデモな文章を書いていたのですが、やっぱり客商売と考えて、穏やかな文章に書き換えました。この根性ナシ と自分で自分を叱るのですけれど。この程度の文章を書きながらも、あの顔この顔と浮かんでくるのですよね。世俗との交わりを絶ったつもりの私でもよく考えれば、しがらみだらけの世界ですよ・・)

いずれにしても印鑑商売・・というか、これって正に霊感商法ですよね・・
いやラブホの前に観音様建ててラブホの料金を宗教法人へのお布施としていたり(ある意味たしかに宗教儀式なのかもしれませんが)、政党結成して宗主の嫁はんが政党党首、立候補予定者が全員各支部長などと国会舐めた降伏団体。
みんな課税で消費税増税回避 なんて謳う政党があれば、私の清き一票。

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裏の裏

アシェット婦人画報社が面白いことをやってくれた。
我が愛読書「美しいきもの」21年夏号で、両開き という技である。

つまり裏表紙が無く、どちらも表表紙(裏表紙に対抗して表表紙である)として刊行されたのである。

これは私の会社にとって、悲喜交々(ひきこもごも)。

私は今まで皆さんに、世界最高の織物技術、完成品としての織物として「渡文」というメーカーを紹介してきた。そして実際にどんなものかは、「美しいきもの」の裏表紙の裏 ←大変分かり難い言い方で、不親切ですね を見たら必ず載ってるよ という紹介の仕方をしてきたのである。
裏表紙の裏 いや分かり難いので以下に 背表紙の裏 ということにしますが、広告業界でいう表3の誌面です には必ず渡文の帯が掲載されているので、簡単に紹介するにはとても楽だった。
ところが、両開きということになると、冊子のどちらもが表紙で・・・
つまり背表紙がない。背表紙がないのに背表紙の裏 と言ってしまうのは間違いである。かといって表紙の裏 広告業界でいう表2 だと言えば次号から 両開き でなくなった時にまた困る。
夏号では、表紙の裏に という表現は、他の号では掲載していないのかい? という疑問に繋がる と面倒なのである。

ずっと両開きでいてくれればよいのであるが、このアシェット婦人画報社、ポシャット婦人画報社 と巷間の噂、何をしでかすやら分からない会社なのである。

婦人誌が、それはファッション誌と呼ばれ、あまたのスーパーモデルを輩出してきたような、若い層向けの冊子も販売減に悩んでいると聞く。
(私でも知っている! CanCan,JJ等)
その中で美しいきものには是非頑張って欲しいところであるが、両開きの問題は、何かもの悲しく私には映るのだが・・・。

気の廻しすぎだろうか?

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フラワーロード

ミドルエイジとは40歳から50歳を指すのだそうです。
何のことはない、「中年」(広辞苑より)

しかし、こときものの業界においてのミドルエイジは、60代後半をいうそうだ。
私をして、○○に毛が生えてない・・・と言った方がいるようで、それはそれで良いのだけれど、毛が生えてないって、それは頭のことか?
と反論したくなる気分は分かってくれますよね。
確かに、この業界奥が深い。しかしそれは歴史が大部分を占めているところもあり、他の業界の奥が浅いのか? と問われれば、そんな浅いと断じる業界など絶対にないと私は思っている。

IT業界、それもゲームクリエーターの世界では、ヴァンサンカンを過ぎるとほぼロートル扱いだそうで、その上になるとエグゼクティブの切符を持った人間しか会社内に残れない と聞いたこともある。

つまり業界のよって、ミドルの位置付けが随分と変わる理由は、高齢者をどのくらい抱えているか? という平均勤務年齢の違いで決まるようである。
ということになれば、私がまだヒヨッコと評されるこの業界には、高齢者雇用の功績によって、厚生労働省当たりから、援助があってしかるべきではなかろうか。

標題から思いっきり内容がそれてしまった。
いや、ヒヨッコ扱いされたことに腹を立てた訳ではない。世代間闘争を促進したい訳でもない。
業界の平均就業年齢によって、国から支援が取れないかな? と考えただけ。

そこでフラワーロードである。
メンズフラワーロード(男の花道)・・・つまり「花道」。
漢字に直すと酷く演歌っぽいのであるが、カタカナだと思わずメルヘンな女性が(最近は男性も)憧れそうなネーミングである。

最近私の周りで取りざたされている話題で、前述のミドルエイジにも繋がってくる。
つまり、引退を男の花道 と称した方がおられて、私が花道は今風でないと異議を唱え、フラワーロードと称したらどうかと提案したことから、この毛も生えていない・・という話に行き着くのである。
何故、カタカナを提案したか? 
私は、以前から辞めることなどが花道などとは絶対に思っていないからである。その引退を花道などと考えるのはまっぴら。

何故なら戦力外通告を誰も出来ずに老害を振りまいて、最後は花道などと言われても。
いや、長い間ご苦労様 という気持ちもありますよ。しかしもう10年早かったら祝砲もアリ と思っていたのに、今更・・・感は否めない。
そう、私自身もそのことは強く意識し、スタッフたちから老害の誹りを受けたくない という思いが強いのである。

つまりフラワーロードという言い方で、その重みを思いっきり軽減したい と願っているのである。
フラワーロード・・・なかなか良い響きではないか。
まるで今から新しい人生が始まりそうな感覚。花に囲まれて。その先に、それこそバラ色の新天地がある と思わなきゃ。

フラワーロードを歩こう。少なくとも私は。
そう、スキップをしながら。

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耳鳴り

西陣で100年を超える歴史を持つ老舗織元でのひとこま。

ミーティング中に、老舗織元に相応しいご高齢の伝統工芸士さんが耳鳴りがする と仰りながら耳を掻かれる光景が続きました。
周りはとても心配顔。

どうされたのですか?
何だか耳元で虫が飛んどる

その老舗メーカーさんでは出席者の気分を和らげる効果を考え、3ヶ月ほど前からBGMを流すようにして効率アップを図り出しているところ。
オルゴールの奏でる音はとても柔らかく、その変化に周りが慣れ始め、
誰もがその環境に馴染んで・・。

だいたいの事はご想像の通り。

ただ不幸なことにその日、いつも同じメロディでは、みんなが飽きるだろう  と考えた若い伝統工芸士に成り立てのスタッフが、CDをアリアに変え・・例の甲高い女性の声  失礼・・・透明感の高いソプラノが流れて・・

確かに耳慣れぬソプラノは虫が耳元で飛んでいる音に。

その後、帯作り半世紀の伝統工芸士さんが、今日は、音楽は流しとらんのか?

いや、今流していますが・・
止めてみんか

カチャ。(CDを止めた音)
耳鳴りが治ったぞ。

CDの音か! (怒:古い伝統工芸士さん)

ダメでしたか? (若い伝統工芸士さん)
アカン。(古い伝統工芸士さん)

確かにアリアはあんまりと思った。

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カゲロウたち

それは儚いものを指すものの代名詞として知っているなまえ。
カゲロウの短命さを憧憬と儚さに置き変えて、人はその名前を口にする。
しかし、このホシの育んできた歴史を見れば、人が定めた暦の1日と100年にどれほどの違いがあるのだろうか。
短命さにおいては、カゲロウの命と人の命に差はない。
主観だけで語る恐れ多さなど、多寡が長くて100年程度のヒトが語ることの傲岸さをこのホシはどう感じているのだろうか。
それはほんの夢のひとときに過ぎない筈。

長寿を夢見ても、その人生を継続するのであれば、カゲロウのような短命さで今を精一杯生き抜くことの方が、美しいと感じるのではないだろうか。

あるmajor-leaguerがいみじくも「叶わない夢はない」と言ったことを思い出す。
叶わない夢はない。
果たしてそうだろうか?
適わぬ夢を見ない だけではないだろうか。遠くのホシを眺めて彼はその上に立ちたいと願ったことはないのだろうか。それは叶うのだろうか。
彼の夢とは、叶えられそうなモノしか見ない と。それは単なる目標に過ぎない。

カゲロウは夢を見るのだろうか。
それとも成虫として一日しかない命では、現実を生きる事に精一杯なのであろうか。
それは人の命が100年とした時と、どこが違うのだろうか。
瞬く間の生命。測る基準の違いだけ。

ウスバカゲロウは、幼虫時代を「蟻地獄」という名前で知られる。そこには生命の神秘を集めたような成長期を長年、土の中で過ごすことによって成虫と呼ばれる・・・つまり羽を持ち生殖が出来る時間・・・一日の為の準備と思われる。
成虫が大人 という考え方は人間の身勝手な思いのように感じる。
彼らの命の中で、寺の裏庭で「蟻地獄」として過ごす時が彼らの命の一番輝く時と考えられないだろうか。
人が生殖可能な期間が長いのは、子孫がなかなか作りにくいための解決策としての結果であって、ウスバカゲロウにとって生殖などは老後の一環の作業みたいなもの 当然、その羽を持った一日で解決できる生命として最後の役目であれば、彼らを大人 と呼ぶ期間は「蟻地獄」の時であってもなんら不思議はない。
生殖など人間の遺言のようなもので、生命が消える時、当然ある儀式 と考えると良いのである。

時間の長さ、成長過程の勝手な解釈 これは人間の基準で表現している。
人間同士の会話であればそれでよいのであろうが、DNAの数は生命の数だけある筈。

カゲロウから見れば、人間の命や宇宙の命も「永劫」と同義語なのかも知れない。そして我々は、そのどちらも命の終焉があることを知っていて、現実を生きている。

《つづく》

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業態を論じる

大前研一氏が、百貨店は今は業態自体が時代遅れという事をしきりに論じているのだけれど、この内容を読んでから彼のメルマガ配信を止めました。

70年代後半から、百貨店不要論は流通現場の中で既定の事実であって百貨店側も、それこそ百も承知していたのです。
今まで百貨店を支えてきたものは、西欧のブランドを展開し、流行させ、顧客を育てる事、またギフトの日を根強く主張しその流布に努めた結果であって、彼が言う売上が落ちれば・・・という筋とは根本的な流れが違っているのです。
言わば流通業者というより、個店貸し出しの不動産業みたいな形で生き残っている訳で、それは百貨店というカテゴリーの変化が90年代には既に終わっていたことを示しています。
それをして今になって百貨店不要論  笑止である。大前さん やっぱりあなたは過去の人。

百貨店に関しては一家言ある。
それは現場も多少経験し、また百貨店の出自に同業が多いという関係、メルマガの読者という縛りもあるのだが、その上での話として書く。
百貨店の事業形態の構造に欠陥がある。
それは働かない社員に対し、メーカーから派遣されてくる働く社員多いという労働環境による社員の無能化である。
昔はそれでも百貨店の社員には見識があった。また仕入れの裁量を一手に握っていた社員の圧力は、如何に現場の数字を上げていくかという命題にメーカーから派遣されてきていた社員たちも一定の敬意を持って百貨店の社員に接していた。
実際に強力な労働組合を背景に、百貨店の社員は一労働者としての地位が非常に高い水準にあり、また保護もされている。
実際、ぬるま湯状態。
これじゃまともに育たないだろう というくらい。
百貨店に入社してくる人間は結構なポテンシャルを持っている。それは数十倍に昇る競争率をクリアし、尚かつコネ入社の枠(この場合、背景のポテンシャルが高い訳です)営業部隊に配属された彼らは、新人のウチは、そのやる気と志の高さを持っている。
しかしなにぶんにも営業の最前線には、メーカーから派遣された海千山千のお局様がぞろり。
そのやる気は日々の未熟な接客(それは入ったばかりなので仕方ない)でどこかへ消え去り、志の高さは、何もしなくても周りが実績を上げていくという環境にどんどんと低くなり、遂には平坦なものになる。
現場では、出る杭が打たれるのである。それも途方もない大きなハンマーで。
それは労働組合が強いという背景もあるけれど。
そうやってメーカー主導の売上をしていた百貨店が、時代の環境に合わせて舵を切るとメーカーの淘汰が行われ、売上の良いディーラーヘルパーたちがもっと売上の良い店へと外されていく という人的障害が百貨店の落ち込みを加速させているのである。

大前氏がひと言でいう百貨店不況 という構造は実際の現場を知らない机上の評論(というか、その通りなのだけれど)である。

この克服には、百貨店の一番の強み、ブランド をもっと活かすことだと思う。

《ここまで、メルマガより抜粋》

その詳細は、今回は長いので記載しないが、早く貸ビル業に転向する方が良いのでは と付記しておく。

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