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2009年5月

引き継ぎ

私の好きだったライオン髪の元首相。
結局は、永田町内で要らぬ事を色々言うな! と党執行部からお叱りを受けた訳ですね。
それは世襲問題で一定の罰を受けたことで、今更出しゃばるな という永田町のサインと思われます。

この罰についても、実際には県連が次男を応援する訳で、有って無いような罰な訳ですが落ちたら面白いのに と思うのは私のルサンチマンでしょうね。

この元首相、やることが徹底していた点では大好きだったのですが、確かに今頃あれやこれや動いているという話を聞くと、本人が議員を辞めさせた元首相たちとそれほど変わりないじゃないか という思いが強く、好きだっただけに嫌になる度合いも激しい様に感じます。
黒幕は表に出ないことで黒幕を務められるのであって、出てきちゃ怖くもなければ価値もない。
そうなると、郵政民営化の他にやった「傷みのある改革」が、今の雇用体制・労働問題を引き起こしているじゃないか と。
本人がソーリを辞めた後も行動に清廉であれば、この国の人間は我慢できるのですよ。あの時あの人のやったことは正しかった と。それが後継者問題や派閥間抗争の看板の一部に使われたことで、結局、やっぱりな という不信感を募らせてしまう。
まさに晩節を汚すこの一年の行動でしたね。

ある世界一大きな国土を有する国の宰相が後任者へ権力を引き継ぐに当たり、その後任者へ残した手紙が2通あったそうです。
その手紙は、もうこれ以上のピンチはない という時に、1番目の手紙、また次に同様のピンチがあった時に2通目 という具合に開けることを指示した と。
そしてその後任者が宰相として最初のピンチにあった時、前任者の言葉を思いだし、1通目の手紙を開いたところ、
「全ての問題を前任者の私の所為にしてピンチを凌げ」
という内容に従って、乗り切った という話を聞いたことがあります。
これこそ、国のトップを張った人間に相応しいような話ではありませんか。

ライオン髪にも、この様にあって欲しかった というのが、一市民としての私の思いだったのかも。

永田町、妖怪の住む街ですよね。

それから、2通目の手紙ですが、2回目のピンチが訪れた時に後任者はまた解決策を模索して、開いたそうな。
「君も私のように申し送りをして、さっさと辞めろ」
仏の顔は1度だけ~。

真偽の程はご想像あれ。

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この節操の無さ

ある報道番組で流れたコマーシャルの並びに唖然とする。
いや驚き。

それはパチンコ台のコマーシャルに始まり、その次が消費者ローン。
計画的に借りろ とのお題目。トドメが借金問題解決の法律事務所。
諦めないで という ごもっともなCF。
この並び方に、テレビ局の編成の努力が伺える。
これが逆だったら 後に流れるスポンサーからのクレームは計り知れない。
 
あんまりだと思う。
マッチポンプならまだしも、燃えるものまで準備しての用意周到な放火ではないか。
営利企業なら と思うが、使っている電波は公共の! という許認可事業。
小泉残党VS郵政官僚 にのめり込んでる法務大臣、こちらにも目を向けてみては と思いません?

見なきゃ良いだろ という提言。
まさにその通りで、誰も見なくなれば、電波利権など無くなってしまうのだろう。
報道はNHK一人勝ち と言われるのもよく分かるような気がする。
しかし見てしまうのですよ。面白いから。
いや番組がで無く、このCMが だったりして。これこそ営業放送の思うつぼ。

そして、
この様な構図を見ると、今回のインフルエンザにも疑いの目を向けざるを得ない。不謹慎と思われるが本当に感じたことを。
だって製薬会社が新型インフルエンザを流布させ、対応の薬でガッポリ って。
コンピュータウイルス対策ソフトもウイルスを流す奴がいて(なんで毎日こんなに来るのか今でも不思議)初めて売れる訳ですから。自作自演のような気がしません?

報道がこんなCFを堂々と流すこの国は、案外健康体なのかも。

節操?
室町時代の話か?

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戦略ありき

今や世界最大の自動車メーカー。
今期は赤字だそうな。

昔むかし車道楽をした私は、ホンの10年前まで、このメーカーの車が品質において世界一と信じていた。
車道楽時代に、今は鐘の音のような名前の社長が率いる会社の若者に人気の車を数台乗り継ぎ、全ての車でオーバーヒートを経験した身としては、やはり車はこのメーカーでなくては と固い信念を持っていたものである。
 
技術の進歩は、車の耐久性においても格段の動きを見せ、既にオーバーヒートという言葉すら死語になった今(何しろ私のATOKでは変換されない)、車なんて何処のメーカーでも一緒になってしまっており、それはユーラシアの西にあるメーカーだろうが、南にある格安のメーカーでも変わらないと今は思っている。

話がずれた。
その世界最大のメーカーが赤字になる という点で、私はどうもきな臭い匂いを感じるのだが。
なにしろこのメーカー、世界帝国を築き上げていた太平洋の向こうの三大メーカーを蹴散らしての世界一就任で、蹴散らされたメーカーが整理の憂き目にあっている中、自社だけは黒字よ と公言してしまえば、以前あったPCメーカーが同名の冠を付けた重電企業のCOCOM違反に関連づけられ、社名以外関連性のないPCやテレビ商品の不買運動、打ち壊しにあった経験を目の当たりにしているのだから。

いや、みなさん大変ですね、しかしウチも酷いのですよ と関連会社間取引で利益をもみ消し赤字にするくらいのことはやってのける体力とブレーンがいるはず。
なにせ、カンバン方式なのだから。

この話は純粋に私の主観と偏見だが、これが本当なら、この国の企業運営も真の意味でグローバル化したものだな と感心。
なにしろ一人勝ちみたいな事を演出しない配慮が出来ている というか、こういったところが本当の強さの様に感じている。

真偽の程は別にして、またこのメーカーのファンになりそうな自分を想像できる。
がんばれ!

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老害

ひと言でこのような標題を付けると、すぐに世代間戦争推進派のネットウヨから大量のコメント&トラバが来るものだが、今回は敢えて老害という言葉についてエントリーをします。

何故か?
それは事業所内で私が老害 となっているのではないか という自問自答が付きまとっているから。
もちろん、年寄りめいた教訓や物言いは重々に控えている・・・筈? つもり?
なのだが、それは発する側の想いであって、受け取る方は、このジジィめ と思っているかも知れないのである。

現に、何かの事柄をブツブツ独り言で喋っていると、遠慮なく、じぃさんだね
と指摘を受けたりする訳で、その都度、私のカワイイ胸は傷だらけとなっている事実もある。

それが先日、私が今いる場所に、なんだか偉そうなオッサンが来て、長い説教を私がいる場所の人間にしつこいくらいしている光景を目撃したのである。

内容は切れ切れに聞こえてくることから想像すると、シロクマと称される人々が住む世界最大の面積を持つ国に、この国からお金を持って逃走した人間についての話で、そんなことをこの場所で、ましてや相手はあまり言葉を発しない人間に得々と聞かせているのである。

聞いている相手 という人の背景を私は少し知っている関係なのだが、それはこんな場所で、それも周囲に聞こえる声でする話ではないだろう と
思ったのであるが、なにしろそのオッサン(私より20歳は上 と思う)、他の人間はゴミのようにしか感じていない風情をオーラの如く漂わせているから堪ったものではない。

私が言うのも何だけれど、この人は企業においても社会においても、老害と思われているのだろうな ということの容易く夢想させられる人だった。

政治業者(自称:政治家)で、もう審議なんかまともに出来ないだろう という人をテレビでよく見かけるが、その雰囲気プンプン。
国会事業も絶対に定年が必要と昔から事あるごとに話してきたが、今回 偶々見かけた方をして、改めて「隠居」制の復活を願った。
周囲も不愉快にさせる行為 はあんまりではないか と。

まさに人のふり見て我がふり・・・
私も自省しきり。あんな風にはなりたくないぞ! と思って、こんな事を書いていること自体が老害?

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本質を見極める

フリーペーパーにあった特集の目元を引き立たせる化粧。
そのビフォアアフターのモデル。
どう見ても別人。
別人28号。

詐欺だろう という、内容。いや、紙面の内容でなく、モデルの顔。

こんなの化粧落として家に来たら、どちら様ですか? って絶対に聞くだろうという変化。

この変化に比べれば、私は2週間で、-15Kg なんてカワイイもんだ! と思える広告。ある程度の誇張はあるだろう くらいな予想がつくけれど、目元のパブリティは、予想外の想像外。

これ、逆に男性の警戒心を煽る広告の様な気がするけれど・・
標題の本質を見極める って。。。なるほどな と思う。

雑誌やネットでの買い物が難しい筈。
少なくとも私はこの雑誌にある通販では買い物はしない。
本質なんて夢の向こうにあるような話と思えてくる。

きものをネットで買って届いたら、○○○・・・。という相談が多数ある。そんなものネットで買うの? という話だが、写真とコメントで伝わる内容など多寡が知れている。
他人が要らなくなったものを買う という認識で買わなければならない事を忘れてしまうとトンだ買い物になる。
ましてや、本質なんて・・・伝わらない筈。

本質を見極めろ!
って、生活者にとっては至難の業とつくづく思う。知った人から、お店で少なくとも本物を見て、自分で決める ←ここが大切!  方が絶対によい。
少なくとも信用出来る人から買うのが一番かも。
知らない人から実物を見ずに買うのであれば、落としても悔しい! と思う時間が半日ぐらいの金額までに留めた方が無難。

本質は、遙か闇の中。

目元の化粧?  地球外生物の世界。

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優しさの表現

携帯電話でメールについて疑問がある。

理由はいろいろとあるが、人とのコミュニケーションがトンでもない変化を遂げていることを今更ながら実感する。

最初は手紙だった。
手紙を書くにはその構成を考えなければならず、当時の上司は、きれいな字でなくても良い、気持ちが伝わるような内容だ という旨の事を新人社員の私に何度も言っていた。

その通りだと思う。
文章の起承転結を考え、失礼のない言葉を選び、相手に伝わる言葉と自分の気持ちを併せて文字に綴る。

それがいつしか電話に変わった。
電話では、その相手の気配を読むことを習う。
周りの音、本人のしゃべり方、電話をかけるタイミング、電話をかけて本人を呼び出していただく時の礼儀とかける時間を図ること。
その後、手紙の代替としてFAXも併用される。
FAXには、手紙にあったリードタイムが無いため、その書式が大幅に簡略化され、オマケにFAXを送った旨、受け取った旨を電話で相手に知らせる という副次的な というか、本末転倒したようなコミュニケーションとなる。
これは結構気を遣う。

電子メールと携帯電話の普及は時を同じくしてコミュニケーションの手段を席巻していく。
電子メールの手法には、手紙で必要としていた時候、開けてから読んでいただくまでの流れ(私はこの流れを読む側の気構え と思っている)などお構いなしの実務文章。
アドレスに送ったが最後、読んでない方が悪い といった風潮になる送る側のエゴが剥き出しのコミュニケーション手段。
携帯電話に至っては、電話に出ることが当たり前の鎖。
そう、架ける側からするとまさに、く・さ・り。リード。

そして携帯メール。
そこには既に情緒はない。
いや、私が受け取る携帯メールだけがそうだったのかもしれない。

ここからが本題。
自己主張専門の携帯メールだったものに、最近、優しさの混じったものを感じるようになった。
それは返事の必要がない ということをメール画面に滲ませつつも、

返事をしたくなる・・・。
そう、昔の手紙のように相手に気を遣う携帯メール。

最近、きものを着る方が確実に増えてきている。時間に追われるようになった70年代から、その数を加速度的に減らせてきたきもの姿がまた増える、つまり底を打った景気のように、上げ潮に載りだした。

きものは、相手のための装い。
相手を立てるために衣装。
優しさの衣装。
優しさのかほり。

携帯メールの変化に同様のかほりを感じる。
相手の立場や時間に気を遣う 風潮。
この国の人がこの国に根付いた精神を僅かずつ取り戻してきているように感じるが、皆さんはどうだろう?
戦後、お仕着せの西洋化が昨年終焉したことと繋がるのではないだろうか。
私には、今実感としてその想いがある。

たまたま、そんなメールが増えただけなのかもしれないが。

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カンナの咲く道

小さな歩道をゆっくりと上がっていくとバスが走るそこそこ大きな道に突き当たる。こんな道まで舗装をしなければならない事情が良く理解できないが、雨の日など、その恩恵を被る身にとっては、有り難い話でもある。
 
バス通りは、大型バスが停留所に停まると片側1車線のため、相当な度胸のある人間しか追い越しができない。従ってバスが頻繁に通う時間は、何時でも渋滞が続いている。

その小さな歩道を丘に向かって上がっていく時の高揚感が堪らない。
風のある場所に向かう様な気分で歩く。
逆に雨の日はつらい。
坂道を駆け下った雨水が容赦なく靴を濡らしていく。その時の目標はバス停近くに植えてあるカンナ。
カンナを目指してひたすら歩く。
雨の向こうに霞んだカンナは遠いけれど、歩いて縮まらない距離はこの世にない。

大きな通りに出ると何かがある。
それは刺激という誘惑。このままバスに乗ってしまえば、大きな都市に出られるのに という、そこはかとない希望。
大きな都市に出て何があるのか? そんな先のことまでは頭が回らない。大きな街には大きな恐怖が待っているだろうけれど、想像力を超えた恐怖は恐怖という形を頭の中で結ばない。
今よりも多大な刺激があるだろう、その刺激がどんな形をするのかは、今の凡庸とした環境では、憧れ以外の形では実は結ばないのである。

憧れとは何か。
それは今とは違った環境。
今の環境に満足できない・・満足を感じている人間は殆どいないという現実もある・・ものに与えられた希望のようなものであるし、現実の辛酸を死ぬほど味わっていても、ひょっとしたら明日は良い日かもしれない と抱く妥協を許さない個人個人が持っている生きる糧なのかもしれない。
希望を失えば、そう生きる希望を失えば、本当の意味で失えば、人は容易く自刃する。
人を生にしがみつかせる何かは、本能という領分以外にもっともっと大きなウエイトを占めている、明日は・・・の思いかもしれない。
更に言うなら、明日へ繋がる道 かもしれない、そこにある小高い丘の上のバス道路かもしれない。
誰かと電話で話す、一瞬かもしれない。

カンナの咲く道は、別に小高い丘のバス停の横にあるだけでない。
ふと振り返った、後ろに気高くそびえるカンナがあって、そこに道が通じている。

《つづく》

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