ご案内

本が出ました。 とてもステキな本です。 少しだけ大きめの本屋さんには縦に並んでいますし、大きな本屋さんには平積みで置いてあると知り合いから連絡を戴きました。 アマゾンの在庫も少なくなっていますし、お早めにどうぞ! 本の表紙写真を右のプロフィール欄に掲載しています。 DVD付きで1,600円。 「ひとりで着られるキレイなきものの着方」 よろしくよろしく。

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タイミング

およそビジネスに関わる人が遍く持つ携帯電話。 公共交通機関を利用するに当たっては着信音を消してバイブにしている人がほとんどでしょう。それは平気で大きな音の呼び出し音を鳴らす事の厚顔さがマナー違反という考え方が一般に定着してきた結果ですね。 しかしビジネスマナーとしてはここからなのです。交通機関を降りて、そのままの方が如何に多いか。 着信に気付かない ことでどれだけのチャンスを逃しているか。 携帯電話を持っていない人は良いのです。周りがそれを認知していて、また持っていない人は定期的に連絡して自分への用事の有無を確認するだろうから。 問題は持っていて出ないという事態。これはかけたほうからすると出ない事に対して出ない相手の悪意まで想像の範囲に入ってくることもありますから。 デジタル表示される着信番号を見て出ないのだろうか? と。 そこまで想像する? する人はするでしょう。例えば私。 私の場合、相手が出なければ次の人にその要件を振ってしまいます。そしてバイブにしていて気付かなかったという理由で相手が30分後に電話を折り返してきた時には、何しろ何の用で電話をしたのかすら、忘れていたりするのです。 いや、何の要件で電話したのかは忘れたけれどもう終わったよ と。 老体の頭には次に電話をかけた相手に要件を降った時点で頭の中の削除フォルダに入っており…いや、本当に忘れているのかも。 私は要件の成就の仕方を詳しく知っている訳ではありません。ただ誰に言えば、この要件が片付くのかを知っているだけです。 ですからすぐに繋がる相手に、例え相手がファーストセグメントでなくても気にしません。選ぶ基準のなかには結構大きな割合で連絡が直ぐにつくという事が入っているのですから。 次回からは最初に電話する相手が違ったりするのです。 そう、タイミング。 持っていることで安心して、肝心の本来あるべき機能を忘れてしまっては本末転倒ですもの。 最近、この現象を良く味わうようになったので、分かる方への業務連絡。

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絶対零度

東と西では言葉が違うと最近しみじみと思い知らされる出来事があった と久し振りにあった友人が話すのです。 メディアの発展とともに平準化されてきたこの国の言葉。 それは標準語という名前で皇帝のいる地の言葉に似ているものとなっています。 確かに方言という言い方自体がどうも地方を差別したように聞こえるのは田舎に住んでいる彼のひがみから出る思いかも知れません  が、確かに方言は他所に行った時に使いにくいものです。 最近ではお笑いタレントの東進によって西の大都市の言葉も全国区の位置を獲得してきだしました。 あかん がダメと同義語だということをおそらくこの国の人々は全員知っていることでしょう。 それで彼の失敗は、外の気温が35℃の表示が出ている都心の昼下がり。 有名なカレーチェーン店(これがまた、西と東の中程にある大都市に本社がある!)で食べる辛さ三倍のカレー。驚くことに、おやつの時間を過ぎているにも拘らず混みあった店内で横も前も汗をかきながら辛いカレーを食べている人たち。何のことはない彼もその一人なのだけれど。 最近移動の多い彼は、都心に移動する前に西の大都市で1週間ほど過ごした後で、汗を拭き拭き食べたカレーの後、 冷コー。 と言ってしまったところ、注文を取りに来たバイト風の女の子の視線が完全に上からのポジションに変わって・・・。 変わった というところが、この話のミソで、その子は「冷コー」の意味が分かっているから変わったのでしょう ね。 私のいる業界も同様に西と東では少し消費者の趣向が違います。それは、粋とほんまもん という言い方で区別されますが、どちらかが上??という目線はないのですね。でも食べ物は別のようですね。 ぶーたれた顔をして外に出ると、とても暑い。頭の中も熱い。 絶対零度という温度基準があっても上限にはネーミングがないのですね。 多分その時の彼の体感温度は上限に近かった・・・と。いつも熱い人なのですが・・・。 都会さで人と話しばする時は、気を付けんね。

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蝉の声

今年になって初めて聞くセミの声。 昨年までは、7月にはいると庭の木で朝早くからジージーと煩いほどに鳴いていたものですが今年は殆ど聞くことがありませんでした。それが急に何故? と考えてみると、どうも大雨の所為ではないか という考えに行き着くのです。地中深く数年を過ごしたセミも外に出ると僅か数日の命。その間に子孫を残さなければならないのですから、出るタイミングを間違う訳にはいかないのでしょう。外気温は充分上がっても飛翔に適していないであろう(私の想像です)雨の最中に、それも大雨とあればおいそれと出て行く訳にはいかない。 凄い仕組みだと思いますね。彼らや彼女たちはそうやって数万(?)年の間生きてきたのでしょう。 人間も太古の昔からそうやって学んできたものや伝えてきたものが数多くあるのでしょう。それは今はデータベースを基に・・・なんて言っていますが本来、生き残るために本能として身についていた筈。 しかしそのデータベースの整備もこの100年くらいのことでしょう。紙で残したにしろ機械上残したりしたにしろ ですね。それ以前の数万年の歴史なんて実際口伝として残っているだけで、それもデータベースが出来たことで口伝すらしなくなってしまい、この100年の歴史でそれまで蓄積したものを失いかけているように感じるのは私だけでしょうか。 セミの成虫になるタイミングや、植物の開花時期、果ては大陸間を移動する鳥たちや動物たち。カレンダーがある訳でもないのに、また行く先の気象が予報できる訳でもないのに、毎年毎年見事なタイミングで動いていくのですね。 まさに自然の力の凄さなのかも知れません。 また毎日ジージーと煩い日が続きますが、こんな考え方をしてみると、結構心地よい鳴き声なのかも知れないな と今日は考えます。 明日になれば、うるさい! と木に水をかけそうですけれど (-_-);;

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動画の予定調和

写真はいろいろと語ることができる。静止画は自分のその時の気分や想いを知ることができる心の鏡と言えるのではないだろうか。 昔の写真を眺める時に、その頃の楽しかったこと、きつかったこと、写真に写る人物の安否を思い、背景にある建物の消息を頭に浮かべる。 それは過ぎ去った時間すら超え、新しい未来への思いすら凌駕する映像として個人個人で違った感覚を味わえるのではないだろうか。 最近流行りのiPADを手にした。そこには最近のテレビ画面と遜色ないほど精緻で美しい絵を見ることが出来る手軽さで動画の再生が出来る不思議な空間があった。 また写真を沢山取り込み、その再生も非常に簡単な機能が搭載されており、幼かった自分が初めて家にテレビが来た時の、このテレビは将来はどうなるだろう? という素朴な疑問の回答を見つけたような気がしたものだ。 ただ色々な機能を試してみて、それも身近に試すことで、感じたことは、動画の顛末は繰り返し見ることで、その行き着くところを知っている自分に寂しい思いを抱く ということであった。写真が動いているだけだろう と言われもしたが残念ながら、写真は何度見ても頭に描く映像が移り変わるのに対し、動画の方はこういう流れで彼女がこんな風に喋り、最後はこうなっていく ことを知っており画面を追いかけなければいけない眼の動きに、心に描く映像に思い切る耽る余裕を見いだすことが出来ないのである。 機能の数パーセントしか使い切れていないから起こる幼稚な発想かも知れないし、実際に動く映像は大きなインパクトなのかも知れないが、やはりワクワク感に関しては、私の場合遥かに写真の方が上。 動画もそのうち自由気儘に立体像が映し出せるようになり、人々の生活の中に溶け込んでいくのであろう。 しかし写真を見ながら夢見る淳君 の方が私らしいような気もするし、ひょっとしrたら世の中の変化から遥かに取り残された自分がそこにあるのかも。 ちょっとした心配とそれで良いという開き直り。 動画は声がある分、同じ事しか話してくれないが、写真はもっともっと沢山の事を語りかけてくれる。 まさに夢見る世界。 iPADを持っているという自慢ではないので念のため。 古い人間になったものだ と実は打ちのめされた時間。

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昇り調子

最近、サッカー番組をよく見るようになった。 それもダイジェスト版。 更にシュートシーン。もっと言うのなら、絶好シュートシーンに飛び込んだプレイヤーがゴールを外すところ。 性格が悪い。 その通りで、本人は既に40年前くらいから気付いているので、コメントで指摘しないように。 野球もダイジェスト版でしか見ない。しかしこちらは昔はプレイボールからゲームセットまできちんと見ていたモノだ。更に球場に行ってまで。 それが今では、深夜番組の最初にあるダイジェスト版しか見ない。酷い時は地デジの文字ニュースで結果だけ。たまに間違ってダイエーが勝っていたら、一生懸命ダイジェストをやっていそうなチャンネルを探したり。 このサッカーと野球、同じようにダイジェスト版しか見ないのだが、本人にとっては随分と違いがある。何故なら、サッカーは、もう少ししたらグランドに見に行きそうな気がするので。 そもそも片方に11人も選手がいて、ボールを取ったり取られたりを延々1時間半も繰り返すサッカーには何の興味もなかった。ユーラシア大陸の西側と太平洋のの向こうの南側の人々が好きな理由すら釈然としなかった。 しかし、ダイジェストで見る限り、結構面白いと感じるようになってきた。 シュートを決めた選手の派手なパフォーマンスは別にして。 むしろ、決定的なチャンスにゴールを外した選手が派手に嘆いている横で、粛々と相手側の攻撃が始まっている絵に、そこはかとない喜びを感じながら見ている。 うん、文章にしたら益々見に行きそうになってきた。いずれ・・・。 プロリーグが始まって結構な年数が経っている筈だが、この感想は野球世代のオジサンたちの素直な反応ではないだろうか。 ということは、テレビに良く映るようになって、やっとエンジンが暖まってきたと言うことだろうか。つまり、テレビの構成に良いようにやられただけ? それでも良い、昇っていく調子とはこんなものなのだろう。企業経営もこうありたいものだ。是非。 (それから、このテキストはウチの会社が昇り調子だとかいうプロパガンダ等では無いので念のため) そこには、テレビの一本調子と違って 絶対に負けられない戦い  の連続なのだから。 負けたらどうするんだ? といつも私は思うのだけれど。。。

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大島紬

最近、私の名前が入っているWEB上の公式サイト、非公式サイト、雑誌に寄せているコラム 全てに大島紬のことを記載している。 実は大島紬の拡販を試みたいという思いから、意図してそのようなキャンペーンを打ってみた。 今更大島紬? という疑問もたくさんの方からお話しを戴いた訳だが、実は、きものの中で私が一番好きな織のきものなのです。 あのヒンヤリ感、それとなく光っていて(テカリとか言っているが)至宝のものに昔から感じている所為かも。 帯は渡文(わたぶん)ですけどね。 メーカーに 大島紬は親子三代着てもその光沢や独特の肌触りを失わない という話の真偽を聞いてみると、 それは、大島紬は高価な普段着なので、そんなにしょっちゅう着るものではない。つまり大切に保存して滅多に着ないから、三代でも四代でも持つ 普通に着ていたら、あの細い糸が三代も持つ訳無いじゃん と。 私の大島紬に対する仄かな幻想はガラガラと。 しかし、これは本当の話ですよ。衣料品なんだから。 それを美術品のように扱うから長持ちするだけ と言われれば、まさにその通りですよね。 大島紬の値段は30年前の価格に比べて約3分の1になったそうです。 同じ技術、同じ工程を経ていても、そのデフレ現象に歯止めはかからず、その結果、技術者たちがどんどん離職していく という悲しい現象が起きているのだそうです。一度途絶えた技術を再興するのにはどれだけの情熱と研究が必要か。私はそれを良く知っている。 価格を上げることは難しいのも十分承知。 そうであれば、量をこなして少しでも技術者に渡る金額を上げていくのも、ひとつの手だと思う次第。 だから、事業の中に大島紬の得意な会社 という抽斗を加えようと。 大島紬。 是非、うちで購入して欲しい。メーカーも非常に協力的で、考え方にも大いに賛同下さり、廉価で商品提供をしてくれている。 問い合わせ info@etsubun.co.jp または、info@bebe-ya.jp

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部下の信望

とある駅の名店食堂街。 時間がない時にうっかり入ってしまい、そんな時に限ってお決まりのオーダーミスで料理が大幅に遅れてテーブルへと届く。 列車の時間は決まっているので、それはそれは急いで食べるも時間切れ。 4分の1も食べていない料理を持って帰る というと、店長と名札(これが名前とかでなく、ただ単に「店長」という名札を付けている)がついた方が登場し、持ち帰りは許さない旨の宣言を行う始末。 紙ナプキンに包んで勝手に持ち帰ろうか と悩んだりするも、半分腹も立っていて、投げるようにお金を払って改札口へとダッシュ。列車の中で二度とあの店には行かないことを誓う。 店の言い分は分かる。下手に持ち帰って翌日食べて食中毒 とか言われようなものなら、保健所は入る、マスコミは来る で商売の挫折すら免れ得ぬという思い。 この国には自己責任 という概念がないから、必ず別の人間を悪者にしなければ収まりがつかない体質になっているのだから。 自己責任という考え方はこの国に馴染まないのだろうか。 昔は、食べ残しの持ち帰りなど当たり前だったと思うし、昨今のエコブームでは食べ残しなど5悪行のひとつくらいに数えても良い雰囲気なのに、もめ事を嫌う体質は受け継いでも、自己責任の考え方はキレイに途絶えてしまったのだろう。 部下の信望という言葉は、部下の辛抱によって成り立つ と私は考えている。 自分のやり方を押し通すことが出来る職責の人間は、その人数分の部下の考え方を否定しているのだということになかなか気付かない。 私も同様。 最近よく思うことが、「おまえが悪い!」である。 なにかに不満を持ってその経緯を考えていくと最後に必ず「おまえが(=つまり私が)悪い!」に行き着く。その考えで物事を進めなければならない。 つまり、冒頭の出来事は、そんなギリギリの時間に食べ物屋に入る私が悪い。 オーダーミスが起こるような食べ物を頼む私が悪い。持ち帰りなどを考える私が悪い。名札に名前を書かない店長の名札に気付く私が悪い。店の不安を分かりながら、こんな文章を書く私が悪い。 あ~、気分が悪い。

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パンデミックはどこに

今年も身の回りで一連の風邪引きさんが、順調に風邪を引いて順調に回復し、やっと新緑の季節。 この冬は新型インフルエンザで大変なことになるのでは? という不安も大した騒ぎにもならず、一体昨年のWHO騒動は何だったのか? と思いません? 今更ですが、あの騒ぎすぎの間に国会で何か重要な法案を通してしまったのか? とか、報道ネタの小さい枠で厚労省天下りの人事発表があったのかしら? と疑っています。 製薬会社の新型コマーシャル? こんな商売はとても美味しいと思う。なにしろメディアが需要を思いっきり拡大してくれる上に、その製造がなかなか上手くいかない事まで宣伝して、誰も値切れない状況を作り上げるのだから。 今の商売は、メディア絡み、法案絡みで需要促進するのが王道なのかも。 やっぱり国会議員を送り出して、きものの日を制定し、その日きものでないと大罰金! とかしなければ、この業界の再浮上は難しいのでしょうね。 宗教が送り出した政党が勢力を拡大することで、宗教法人への課税がままならない状況を生み出すように。 パンデミック効果で誰も損していない・・・様な気がするのだけれど、実は税金が結構投入されていたりするんですよね。 この検証と総括は・・・きっと無いのでしょうね。何せ、前の政権政党がやったことだし。 製薬会社、羨ましい。

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anniversary

3月20日は第二の誕生日。 もう4年か・・・。感慨も一入(ひとしお)。 まだまだ通過点。これからも! 今はまだまだ人生は語れない。通過点に過ぎないのだから。

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